懐かしの町 大分編     2006/11/13



久々に休みを取って 九州にツーリングすることになりました。

ただし 九州滞在は半日だけ。

スケジュールがおしているので 仕方がありません。
日曜日休日出勤の仕事帰り なんとか乗ることが出来るのは 神戸発22時30分発のさんふらわぁ。

四国の松山に寄航してから 九州大分に着くので 到着時刻は昼前の10時40分になりますが それでも九州まで寝ていけるのは ありがたいことです。

新しく会員制のフェリークラブ 瀬戸内海クラブというのが出来たので 私も千円払って入会しました。

これは繁忙期を除く 今みたいな時期のフェリー料金が安くなるというシステムの会員券を売るもので 今の時期は三割引してくれるという お得なものでした(一年間有効)

22時10分の乗船まで時間があったので 晩飯を神戸の街で食べることにします。


久しぶりに訪れた 元町高架下の 丸玉食堂。
庶民的な価格と店内の雰囲気は 昔ながらの中華料理屋さんを 思い出します。

・・・というか ここは昔から変わっていません。

メニューはなかなかハードで 本格台湾料理ということで 豚肉などは筋肉パーツだけではなく 中身を使うメニューも多く 中国系の人が多く見られるので 本物だと思います。

メニューは私の好きな「肉めし」と「腸詰」 肉めしは中華丼のこと(ホルモンは入っていません) 腸詰は台湾屋台でよく見られる 中華式ソーセージで どちらかというと 豚肉のソフトサラミのようなもの。中国パセリが添えてあって独特の味と匂いがあります。

お酒(紹興酒か白酎)が欲しいところですが 飲酒運転になるので 我慢我慢!



22時25分にやっと乗船させてくれました。
今回はバイクはあとまわし。悔しいけど 別府に着いて降りるときは 最初に降ろしてくれるので かえって得かもしれません。

寄航便なので 松山で降りる車と区別して分りやすくする為 こういうプラカードを表示させられます。

取り付けは面倒ですが 写真を撮ったときに絵になるので 一枚撮ってみました。

奥にぽっかり開いているのが 今入ってきた乗船口です。


今日は2等寝台をとりました。

普段は2等で充分なんですが さすがに早朝出勤で夜まで働いた後だったので 今日はもうへとへと。 ゆっくりベッドで眠りました。

壁の向こうの反対側の2等寝台は 修学旅行の中学生の団体らしく 夜中まで騒がしくまた 壁を蹴るなど暴れていましたが、疲れていたので寝てしまいました。

この船では 中国系や韓国系と思われる団体客が 沢山乗船していましたが この人達も大変マナーが悪く 風呂の脱衣場まで靴を履いて来たり(注意したら 睨まれました) 廊下を歩いていてぶつかってきたりと 嫌な思いをしました。

年々こうした人達が増えてきて 昔は大人しかったのですが 最近は目に余る横暴な人達が増えています。

団体客というのは 日本でもあちらでもマナーが悪い人が多いのか 噴飯ものではありますが そういえば私の子供の頃の団体客も こんな風だったなぁと思い出して 苦笑いしてしまいました。

日の出の勢いのこうした国の観光客ですが いつか大人しくなる日が来るのを祈ります。


生活サイクルがどうしても早起きなので 日の出には起床してしまいます。

今日は 疲れを残さないよう ベッドで横になりますが 期待に胸が膨らんで とても寝ていられません。

美しい空の色は 一日快晴を予感させて 気分は上々です。


別府着。
バイクは四台だけ。

もちろん出口のそばに駐車させられていたので 出るのは一番!

ライダーに張り付くようにしがみついているのは 若い女の子。

私はいつもシングルライダーなので とてもうらやましいですが 命を預かれるほどの人が現れないかぎり シートは空けたままです。

私にとって バイクに乗るということは いつでも死の可能性を感じながら 覚悟を決めて走ることなのです。

けして 大げさなことではなく・・・・


別府を降りて 「さあ どこへいこう?」と思いましたが お昼に近い午前 遠くへ行っても あわただしいばかりなので 近場を考えました。

別府や湯布院は何度も訪れて 目新しくなく 今まで言っていないところといえば 国東半島の付け根の宇佐神宮 そして国東で唯一取り残した熊野磨崖仏の見物です。
ここ宇佐八幡宮といえば 応神天皇や神宮皇后をお祭りした全国八幡宮の本社であり 伊勢神宮の次に格の高い神宮である・・・・と神社の案内に書いていました。

歴史好きの人には有名な話に ここ宇佐八幡と言えば 弓削の道鏡の皇位簒奪未遂事件(僧道鏡が皇族ではないのに 天皇の位に就こうとした事件)で有名ですが 歴史は夢のまた夢 反対陣営が後の世に作った作り話という説もあり 当時のことは想像の域を出ないのです。

ただ平安時代のこの事件を 江戸の庶民はことのほか好み 艶笑話に仕立てて 江戸小話や川柳など作っておおいに楽しんだとか。

時は移り軍国主義になった大正 昭和初期の時代には 日本歴史上の三大悪人として 天皇を敬う為の教育に使われたりしました。

実際のところはどうだったかは闇の中ですが もし皇位を簒奪しようとしたのなら 後の処罰が軽すぎます(下野のお寺に左遷)
罪に相当する罰をかんがみると 死罪か配流が適当だと思われます。

ですから事件そのものがどうだったのか 今となっては闇の中だと思います。


宇佐神宮はとても立派なお社で 荘厳な参道、広大な社域 壮麗な社殿 朱色の丹塗りの柱と壁 軽やかな巫女の衣装と舞いなど はっきりと心に残る印象の美しい神社でした。

丁寧に宇佐神宮式でお参りして 拝殿を後にしました。

参道のみやげ物屋さんも賑やかで 緑色のヨモギ入りのふかし饅頭など 美味しそうな匂いをさせて 旅人を誘います。

私もひとつ買って お茶を貰って食べました。
寒い日には その温もりがご馳走で 甘い餡子がいっそう甘く感ぜられました。
 


宇佐神宮でお参りをすませ 5kmほど戻ったところにある 豊後高田市にある商店街 「昭和の町」に迷い込みました。

豊後高田は昭和中期(30年代) 国東半島で最も賑やかだった町で その頃の賑わいを再現し 昔の佇まいを残し或いは作り直し復活させ 町おこしの一環として 街づくりを行っています。

昭和生まれの私としては 嬉しい限りですが 時代が近すぎてピンときません。

なぜなら この街並みは どこにでもある田舎のちょっと古びた商店街と 見分けがつきにくいのです。
ウチの田舎若狭小浜のメインストリートも 15年前はこんな感じでしたよ。
こういう感じの商店街は わりと全国で見かけます。

このまま10年20年と続けていけば きっと名所になることでしょう。
まだ熟成が足りません。

街中にはレトロ「風」の建物や それらしい飲食店があります。

じっくり周るには一日かかりそうですが 今日はさわりだけにいたします。


川の傍にサニーが置いてありました。
このクルマのデザイン 10年前にはすでに旧車で 古臭く感じましたが 今になって見てみると 今度は何か新しいものを感じて 新鮮なものを感じます。

このクルマ 自分の家の車庫にあったら 素敵だろうなぁ。

ちょっと欲しくなりました。

この前テレビで初代カローラが出ていましたが このサニーも魅力的ですね。
なつかし給食のリンクへ
新町商店街にある 学校給食を再現して食べさせてくれるカフェ「ブル ヴァール」

何をいまさら好き好んで・・・・
と言う人は きっと若い人なんでしょう。

成人して学校から離れると その味を忘れて ただ懐かしい思い出だけが残ります。

ああ あれ不味かったねぇ・・・と言いながらも またもう一度食べてみたくなるのは あの頃が人生で一番楽しく屈託無く笑うことが出来たよい時代だったからでしょう。

郷愁の味 想い出の味 もう戻ることの出来ない 懐かしの味が ちょこっとだけ味わえて 
この旅一番の贅沢な食事にありつけました。

なつかしうまい・・・・そんな味でした。

今回の旅のメインのひとつ 国東半島最大の難所 熊野権現の道。
急な山道を麓から15分登り 国東最大の磨崖仏 不動明王にお参りする道です。

国東には何度も訪れていて 多くの寺院や神社には 大抵お参りしているのですが ここだけは縁がなく ずっと未踏でした。

とくに5年前に国東を訪れた時は お参り直前に事故に遭い 骨折し 階段を登ることができなくなって泣く泣く参内することを断念しました。
 

やっと来れた熊野権現は 噂どおりの難所でした。
寺務所で杖を貸してもらい 長い石積みの参道に挑みます。

最初は15分くらいたいしたことは無いと たかをくくっていましたが 上に行くにしたがい だんだん難所らしくなってきました。

参道に敷き詰められた石積みの階段は 大きさもまちまちの野積みで 一段登るにも足を大きく上げねばならず よろけ躓きそうになり 日頃の運動不足を嫌と言うほど思い知らされました。
 

頂上近くにあるのが有名な半島最大の磨崖仏 大きなお不動様と 伝大日如来。

柔和なお顔のお不動様は 微笑さえ浮かべ 憤怒形(怒りを表す)の不動明王しかしらない私にとっては 心安らぐ大仏拝顔になりました。

ここまで登ってきて よかったと思う瞬間でした。

寒い時期にきて良かったです。
きっと暖かい日にきていたら 顎が上がって登れなかったでしょうね。
上に上れば下るのがルールです。
下りがまた怖いのです。

石の高低差がきつくて 降りるにはおっかなびっくりでした。
左手は手すりを離さず 右手にはさっき寺務所で借りた 竹の杖を持ちひたすら下ります。

この階段 鬼が一晩で積んだという伝説があります。仏様が(たぶん大日如来)鬼と約束して 一晩でこの参道の石段を作り上げたら 望みをかなえてやると言ったら 鬼は張り切って石段を一所懸命積みあげて もう一息で完成するというところで 仏様の計略にあい だまされて逃げ去ってしまうのです。

良く似た話は 和歌山の橋杭岩の弘法大師と鬼の話し 葛城山から大峰山に橋をかける話の役の行者と鬼の話しなど 幾つか有りますね。

どれも鬼はバカでだまされやすく でも正直で約束を守る存在であることです。
鬼というのはだまされて 殺されて 滅ぼされてしまいますが 約束をまもる存在なのです。
さて本当に悪いのは 果たしてどっちなんでしょうか?


熊野磨崖仏を後にして(このあたりの主要寺院は あらかた見ました)国東半島の南の付け根の町 城下町杵築(きつき)へ向かいます。

ここは最近観光に力を入れていて 美しい城下の武家屋敷や石畳 商人町 坂や庭園など古くて立派で懐かしい風景が随所に見られ またこじんまりとしたコンパクトな街並みは撮影するのにちょうどいいサイズなのです。

まずはきつきレトロ館を覗いてみました。

クルマは玄関を入ったら真っ先に目に入る 三菱ミニカ(軽自動車)
欧州車っぽくてなかなか格好よろしい!
ご存知ナショナル坊や。
テレビは・・・たぶん白黒

パチンコ台にスロットマシン


テレビ番組「てなもんや三度笠」の映画バージョン
続てなもんや三度笠

主演は藤田まことと 白木みのる。

藤田さんはいまもトップスターなのでご存知のはず。

テレビ映画「必殺シ」リーズとか松たかこ主演のテレビドラマで準主役をやっておられます。

白木さんは 大人ながら子供の役をこなす 特異な俳優さんです。
こちらは日活映画の最高のスター 石原裕次郎さんと 共演者の浅丘ルリ子さん。

おじさんのカラオケの定番 デュエットの定番 「銀座の恋の物語」
これって 映画の挿入歌だったんですね。
知らなかったです。

左にぶら下がっているのは 赤ちゃんの寝ている天井にぶら下がっている あのモビールですね。

ビニールのプラスチッキーな感じが 昭和を感じさせます。
懐かしいレコード盤
アイドル全盛の時代のレコードの数々。

もっと古いレコードも沢山有りましたが 私の好みで
こっちを写してしまいました。

しかしこの人達 今でも現役の人が大多数ですね。
芸歴ながいわ。。

すいません聖子ちゃんは 右端の隠れたところですわ。
相撲部屋の女将さんになった人も居ますね。

コイズミさんは 今の方が若く見えるかもも??

さっきの白木みのるさんがモデルになっている商品。
カキ氷機のようですね。

ウチにもありました。

テーブルに固定しないと 子供の力では 台が際限なく動いていき 際限なくカキ氷を ボロボロボロボロこぼしていき 母に叱られました。

懐かしくも悲しき思い出。

こんなもん箱ごと取っておくなんて なんと物持ちのいいお方でしょう。

さては遠い将来博物館を開く遠大な計画だったとか・・・・(笑)
レトロ館で係りのおねえさんと話しがはずみ 気がついたらもう午後4時になっていました。

大分の時間ってなんて短いんでしょう。

私の滞在時間って なんて短いんでしょう。

別府の町に急いで戻り フェリー港から一番近い風呂 「かっぱ温泉」に行きました。

ここは銭湯みたいな気軽な温泉(勿論天然)で お値段も安価な銭湯料金(360円)
おまけに24時間営業で 一晩いても1000円と格安なのです。
ひとっぷろ浴びてイートインコーナーに行き 腹ごしらえをします。
時間節約しなければ 船の中での食事になりますし 行きの船でガッカリしたので どうしても別府で食事をしたかったのです。

こちらではポピュラーなメニュー 高菜チャーハン。
温泉タマゴをつけても450円!

塩気が効いていて とっても美味いのです。

風呂上りにはビール!・・・と言いたいところですが たとえ10mとはいえ飲酒運転になるので ここは我慢します。

やっぱり船内でチョコッと飲むかな?
短い間でしたが 日帰り大分 楽しみましたよ。
なぜか足は痛くならず(お参りのご利益かな) 元気一杯。
帰りは別府〜大阪 直行便
19時に出航です。到着は明日の朝6時40分。

なんと帰りも行きと同じ船に乗りました。
売り切れていたお土産の棚もそのまま。
補充しといてくださいよ、さんふらわぁさん!

明日は火曜日ミーティング かつらぎ農道編
明日は晴れをいただきだぜ!
まってろよ!

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